子どもの頃の日本酒

僕が生まれ育った実家は静岡県と愛知県の間にある、簡単に言ってしまえば田舎にありました。ありました、というのも今現在は誰も住んでおらず、実家として機能していないからです。僕が大学入学と同時に京都に来たときは、まだ実家として機能していて盆や正月になると民族大移動の一員となり新幹線に乗り実家に帰省していました。

実家に帰省し最寄りの駅に到着すると、当時まだ生きていた祖母が迎えに来てくれていました。僕はおばあちゃん子だったので、今でも祖母の死を思い出すと涙が出てきます。駅で祖母と合流すると一緒に実家まで歩きました。何を話したのかは今となっては思い出せませんが、祖母と一緒の10分足らずの時間がとても幸せだったのは覚えています。

今では過疎化によりすっかり寂れてしまった街ですが、当時はそれなりに活気があり、祖母と一緒に歩いていると僕のことを知っている街の人々が「おかえり!」と声をかけてくれました。今でこそひとりで旅に出かけたり居酒屋に入ったりすることができる僕ですが、当時は人見知りでろくに挨拶もできない、本当に愛想のない子どもだったと思います。

実家に戻り最初に確認することは玄関にある履物の数でした。僕は正直、実家に家族以外の人たち(親戚も含む)がいる時間が苦でした。彼らがいることで全く寛げなくなるからです。僕は本家の長男の長男として生まれたので、愛想がないと自覚していても、彼らの前では長男の役割を果たす必要があります。だから玄関で彼らの履物を見つけた時は、若干げんなりすると同時に、長男のスイッチを入れる必要がありました。

僕の父親の兄弟は5人で、多いときには5つの家族が実家に集まります。もちろんそれぞれの家族に子どもがいるので、親だけで10人、子どもを合わせると20人近くが狭い実家に集うことになります。当然、長旅の疲れをとるスペースはどこにも無く、寝る時間になるまで酒に酔った大人たちと、疲れを知らない幼い従兄弟たちの相手をすることに。

夕食は親戚の誰かが持ってきた寿司を食べることが多かったです。実家の近所に美味い寿司屋は存在しなかったので、お持ち帰り用の寿司でもそれなりに美味しかった記憶があります。子どもたちの間では寿司の取り合いが始まり、その傍らで大人たちは酒を楽しんでいました。その酒というのは多くの場合日本酒でした。

親戚のひとり、確か愛知県庁に勤めていたオジサンは実家に来るとき必ず日本酒一升瓶を一本持ってきます。その銘柄は越乃寒梅や久保田など、当時の特級酒と呼ばれる日本酒がほとんどでした。今でこそ僕は日本酒にどっぷりハマっていますが、当時は日本酒の臭いが大嫌いで、酒臭い息を吐く大人たちに近寄ることが何より苦痛でした。時間が経つに連れて、大人たちの顔は赤みをおび、しゃべる声が大きくなり、子どもに対して妙に馴れ馴れしくなる。そんな大人の姿を見て、将来酒に飲まれる大人になるのはやめようと思ったのですが、残念ながら僕の身体には彼らの遺伝子がしっかりと伝わっているようです。

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