Review
最近、京都の某芸術大学のクラシック定期演奏会を聴く機会がありました。そこで演奏された曲名や作曲家は聞いたことがあるのですが、その曲が作られた時代背景や、その曲に込められた作曲家のメッセージを意識したのは、今回が初めてでした。もっと深くクラシック音楽を知ってみたい、そう思って選んだのが本書です。音楽を学んでいないと理解できないような内容も含まれていますが、私のような素人でも充分に得られるものが多かったです。クラシック音楽、つまりヨーロッパ音楽とは何なのか、が少しだけですが本書で理解できました。(読書メーター投稿内容と同様)
Highlight
モーツァルトの装飾音は装飾を拒否する為のものだったのだ
バロック音楽以後フランス革命以前までの音楽では、音楽が主和音で始まって主和音で終わる(つまり、ハ長調ならドかミかソで始まってドかミかソで終わる)という原則が守られている
調性音楽=階級制の音楽。こう定義して良いと思う。さて、シェーンベルクが挑戦したのが、この階級制の解体だ。つまり、どこにも主音もなければドミナント(優越)音もない、すべての音を平等に取り扱って音楽を書こうとしたのである。彼はそれを成し遂げ、十二音音楽と名付ける。
綺麗な音と正確なリズムと音程、それだけで充分ならコンピューターにやらせておけば良いだろう。私は、人間にしかできない事をやれと言っているのだ。音を読むのではなく、楽譜というテスタメント(遺言)に残されたメッセージを読み取って欲しいのだ。そしてそれは、泥塗れになって作曲家の狂気と格闘する事になるだろう。そうやって、血を流して舞台に立てと言いたいのだよ
指揮者がオーケストラに出す指示は、必ず、例外なく、奏者が弾く一拍前でなければならない。この事は、M教授が言っていた「準備」の必要性ともぴったり一致する。そしてその指揮者の腕の動きは、ボールが、ポンポンポンと弾みながら進んでゆく様な、スウィングを伴っていなければならないのだ。何故か?その理由はボールが弾んでゆく放物運動にある。
人間が音で何かを主張する為にあるのがヨーロッパの「MUSIC」であるなら、邦楽が作り出す音の世界は、個に、主張することを委ねず、自然そのものへの融解を示唆していると言ったら、漠として要を得ないだろうか。
ヨーロッパの芸術は須らく自然と対峙する人工という思想で貫かれている
ある一つのパートに「歌」、つまり旋律を書き、他の全てのパートはその伴奏に廻る。このシステムを確立したのがバロック音楽である。
器楽作品で「歌う」とはつまり音符の連続をどのようにフレーズで区切って弾くかという事なのである。
旋律とは、音階を構成する音が進行する際の、順次進行と跳躍進行との組み合わせである
参考文献
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